「浄土宗」と「浄土真宗」、どちらも「浄土」という言葉が入っているし、お釈迦様の教えに基づいているのはわかるけれど、一体 浄土宗 と 浄土 真宗 の 違い は 何 です か ? そんな疑問を抱えている方も多いのではないでしょうか。今回は、この二つの宗派の、どこがどう違うのか、できるだけ分かりやすく、そして興味深く解説していきます。
念仏の「意味」と「実践」における違い
まず、一番大きな違いは、お念仏を唱えること、つまり「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」に対する考え方と、その実践方法にあります。浄土宗では、阿弥陀仏に救われたいという自分の「願い」や「思い」を込めて、一生懸命お念仏を唱えることが大切だと考えます。この「自らの修行」に重きを置く点が特徴です。
一方、浄土真宗では、阿弥陀仏が私たちを救ってくれるという「阿弥陀仏の慈悲」そのものに感謝する気持ちでお念仏を唱えます。これは、お念仏を唱えることで救われようとするのではなく、すでに阿弥陀仏が私たちを救ってくれると約束してくれている(本願)ことへの「お礼」や「喜び」の表現なのです。
つまり、
- 浄土宗: 「救われたい」という自分の願いを込めて、一生懸命お念仏を唱える。(修行としての側面)
- 浄土真宗: 阿弥陀仏の救いに「感謝」してお念仏を唱える。(感謝・喜びの表現)
という違いがあります。 この「救いを求める」のか、「救われたことへの感謝」なのかという視点の違いは、仏教の理解を深める上で非常に重要です。
開祖とその教えの発展
浄土宗と浄土真宗は、どちらも親鸞聖人(しんらんしょうにん)の師である法然上人(ほうねんしょうにん)の教えから出発していますが、その後の発展の仕方にも違いが見られます。
法然上人は、専修念仏(せんじゅねんぶつ)、つまりお念仏だけを信じ、唱えれば、誰でも阿弥陀仏の救いを得て極楽浄土へ往生できるという教えを広めました。これが浄土宗の始まりです。
そして、法然上人の弟子であった親鸞聖人は、法然上人の教えをさらに深め、阿弥陀仏の本願(ほんがん)によって、たとえ悪人であっても(悪人正機説:あくにんしょうきせつ)、ただお念仏を信じるだけで救われるという教えを確立しました。これが浄土真宗の開宗です。
まとめると、
| 宗派 | 開祖 | 主な教え |
|---|---|---|
| 浄土宗 | 法然上人 | 専修念仏による往生 |
| 浄土真宗 | 親鸞聖人 | 悪人正機説、阿弥陀仏の本願 |
このように、 両宗派とも法然上人から枝分かれしていますが、その教えの根幹において、より深く阿弥陀仏の救いのあり方を追求したのが浄土真宗と言えます。
「信心」の捉え方
「信心(しんじん)」という言葉も、浄土宗と浄土真宗では少し意味合いが異なります。浄土宗における信心は、阿弥陀仏に救われたいという強い「願い」や「決意」であり、お念仏を唱えることによって、その信心を深めていくと考えます。
一方、浄土真宗における信心は、阿弥陀仏が「必ず救ってくださる」という、すでにある阿弥陀仏の絶対的な「誓い」を疑いなく信じることです。これは、自分で努力して獲得するものではなく、阿弥陀仏から与えられるもの(他力本願:たりきほんがん)と考えられています。つまり、
- 浄土宗: 「救われたい」という自分の願いを強め、信心を育む。
- 浄土真宗: 阿弥陀仏が「必ず救ってくれる」という誓いを疑いなく信じる。(聞信:もんしん)
という違いがあります。
「往生」の捉え方
「往生(おうじょう)」、つまり極楽浄土へ生まれることについての考え方にも、両宗派で違いがあります。浄土宗では、お念仏を一生懸命唱えることによって、死後に阿弥陀仏に迎えられ、極楽浄土へ往生できると考えます。そこには、修行の積み重ねが重要視される側面があります。
対して浄土真宗では、阿弥陀仏の本願によって、お念仏を信じた瞬間、その時点で「往生は決定(けってい)」していると考えます。つまり、死んでから極楽浄土へ行くのではなく、今、この瞬間にもう往生は約束されている、というのです。この「往生は決定している」という考え方は、浄土真宗の大きな特徴です。
簡単にまとめると、
- 浄土宗: 一生懸命お念仏を唱え、死後に極楽浄土へ往生する。
- 浄土真宗: お念仏を信じた時点で、往生はすでに決定している。
となります。
「本尊」と「聖教」の違い
それぞれの宗派で、大切にされている「本尊(ほんぞん)」や「聖教(しょうぎょう)」にも違いがあります。浄土宗では、阿弥陀仏を本尊とし、さらに阿弥陀仏の教えを記した経典である「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」を大切にします。法然上人の著書である「選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」も重要な聖典です。
一方、浄土真宗では、阿弥陀仏そのものを本尊としますが、特に「南無阿弥陀仏」という名号(みょうごう)に阿弥陀仏の救いのすべてが込められていると考えます。聖教としては、「浄土真宗の教えの源流」とされる「無量寿経(むりょうじゅきょう)」を特に重視し、親鸞聖人の著書である「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」を根本聖典とします。
以下にまとめます。
-
浄土宗:
- 本尊:阿弥陀仏
- 聖典:浄土三部経、選択本願念仏集など
-
浄土真宗:
- 本尊:阿弥陀仏(特に名号)
- 聖典:無量寿経、教行信証など
本尊や聖典の捉え方の違いからも、それぞれの宗派の教えの重点が分かります。
「法事」や「供養」の考え方
日々の生活や、法事(ほうじ)における考え方にも、浄土宗と浄土真宗では違いが見られます。浄土宗では、お盆やお彼岸などの法要において、故人の冥福(めいふく)を祈り、より一層の修行を積むことを願う意味合いがあります。お経を読んだり、お念仏を唱えたりすることで、故人がさらに良い状態へ向かうことを願います。
これに対し、浄土真宗では、故人はすでに阿弥陀仏の救いによって極楽浄土へ往生されている、という確信があります。そのため、法要は故人のために祈るというよりは、阿弥陀仏の救いをいただいたご縁に感謝し、その教えを改めて心に刻む「報恩(ほうおん)」の場と捉えます。つまり、
- 浄土宗: 故人の冥福を祈り、より良い往生を願う。
- 浄土真宗: 阿弥陀仏の救いの御恩に感謝し、教えを心に刻む。
となります。 この「祈る」のか「感謝する」のかという視点の違いは、仏事への向き合い方にも影響します。
いかがでしたか? 浄土宗と浄土真宗、どちらも阿弥陀仏に帰依する教えですが、お念仏の捉え方、信心のあり方、往生の考え方などに違いがあることがお分かりいただけたかと思います。どちらが優れているということではなく、それぞれが阿弥陀仏の救いを深く追求した結果、生まれた教えなのです。